量子場師yoshiiyのスピログ

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今日思うコト:自ら命を絶つ、というコトについて…

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blogへのご訪問ありがとうございます、量子場師yoshiiyです。  

 

 

コロナ禍からの流れから「死」を唐突に耳にすることが増えました。

そして最近、芸能人の方が自らの命を絶ったニュースを耳にする事が続いております…

今日もまたそんなニュースを突然知り、とてもショックでした…

とても好印象で非常に人気もあり、お仕事も順調そうで幸せそうに過ごしてらっしゃったのでは??

なぜ?と。

そのギャップに驚き、とても心を痛めている方も多いと思います。

わたしもそんな一人です。

 

そしてふと、自ら命を絶つ死生観について個人的に考えてみました…

 

自ら命を絶つ、という死生観について

 

誰もがその行為は良くないと、倫理的に、道徳的に思っているコトと思います。

哲学的視点では、それを本人が自らの意思で選択したという事実があります。

それをどう捉えるか…

  

いまのコロナ禍の影響もないとは言えないと思うのです。

 

自分を見つめ直す時間ができて、その先に、というのであれば、

今の時代が生きづらいというか、単純には言い表せませんが、

難しく、悲しい社会なのかもしれませんね…

 

 

話はそれますが”安楽死”も自ら死を選択するという行為と思います。

同じく捉える訳ではありませんが「絶望」という感情が観えてきます…

 

 

心が折れそうなとき

 

これは大なり小なり、人生で経験している事と思います。

例えばいじめなど、他者からの攻撃によることの積み重ね、

必要以上の仕事からの重圧、生活からの逃避、

信頼していた人、愛していた人の裏切りにあったとき。

 

…いろいろ心が折れそうな時って、幾度となく経験してるはずです。

 そこには”人の感情”がかかわっていることがほとんどではないでしょうか。

 

わたしも何度かありました。

 

あるとき、長年のパートナーからの裏切りとモラハラ、言葉のDVにより重度の自律神経

失調症となり、2週間もまともに眠れず…

眠れたかと思ったら数分後に悲鳴をあげて飛び起きるような、

突然の恐怖心の高まり、震えが止まらず、滝のような汗が止まらないような…

 

心療内科を受診し「先生わたしはうつ病ですか?」と聞くと

ドクターは「うつ病の人は自分で病院へ来ません」と。

いくつかの質問の中に「自殺を考えたコトがありますか?」と。

わたしは無かったので「ありません」と。

うつ病の人は自殺を考えるのだろうか…、と思いました。

 

うつ病の方すべてがそう考えると言ってるのではありません。

 

ただ、心が折れて、どうにも自分で修正できなくなったその先に、

それを選択するコトがあるのだろう、と思いました。

そしてそれは誰にでもあるコトなんだろうと。

 

 

本人にしか分からないコト

 

周りからは全く理由も分からずに幸せそうだったのに、なぜ?と思ってしまうような…

もし本人に問うコトができても、

たぶん、一つ、二つの理由ではないのでしょう。

 

そして急にその考えが芽生えたのではなく、長い間に考えてたいたコトなのではないのだろうか、とも思うのです。

 

まわりの人が気付かないほどに自分の気持ちを出していなかった、

それは本人のプライドや優しさなのだと思います。

意識して自分の感情を隠していたのかもしれません、

心配をかけたくない、

自分の問題として、自分で解決するしかない…、と考えていたのかなと。

 

そんな優しい人ならばこそ、残された家族、自分を取り巻く仕事や関係者や友人のことも考えたでしょう。

そのことを考えてみても、自分の気持ち、そちらに向かう意思を、払拭できなかったんだろうな、と思うんです。

 

なぜ?と問うても、

微笑むだけで、答えは返ってこないこともあるのでしょう… 

 

 

もし自分の身近な人が、もし自分が

 

わたしは自分が重度の自律神経失調症になったとき、あのまま放置していたらと思った時、”死”へ続く道のようなものを感じました。

 

わたしの友人がある日突然、わたしの家族がある日突然…

そんなコトが起きたとしたならば、とても後悔の思いで溺れそうになったしまうでしょう

 

自分は何もできなかったのか、何か出来たのではないか、なぜ?と。

そして自分を責め続けていくでしょう。

 

でも、それがその人の意思だったんだ、と考えたいのです。

悩み苦しんだ先に、自ら命を絶つという行為を選んだ意思を"ゆるす"というか…

そう思って、そしてその人を思い続けていく…

 

でも、そんなコトは簡単ではないでしょうね、

考えただけで非常に胸が苦しく痛くなります。

 

 

スピリチュアル的観点で思うコト

 

スピリチュアル的には、宗教的だったり転生的にもいろいろなところで、自ら死を選ぶコトは宜しくないと唱えてます。

因果応報のループに入っていくと。

確かにそれもあるのでしょう。

でもそれも分かっていてもそれを選んでる場合もあるのではないかと思います。

(この話はまた別で触れたいとおもいます)

 

周りから幸せそうに見えている人が、心の中ではそうではない感情の渦がある。

それは周りからは分からないコト

その人自身にしか、

もしかしたらその人自身も分からなくなってる状態もあると思います。

 

 

わたしたちの居るこの次元は、感情が物質化してしまう世界です。

本人の意思が感情を作っています。

「不安」「恐れ」「絶望」など低い周波数の感情は、心から身体へと、低い周波数の違和感を物質化してしまいます。

その負のループからはなかなか逃れられません。

 

でも、なんとかしたい、と感じる意思があるならば、

その低い周波数のループから変容できるはずなのです。

 

 

 

*自ら死を選んでしまったご本人に対しては、心からのご冥福をお祈りしたいと思います。

また残されたご家族やご友人の方に対し、敬意の思いを表したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*心のお悩みや不安感にも量子場調整はサポートできます

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