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トラウマ?笑顔の記憶のさきに vol.2… 中学で再会したミエちゃん

笑顔の記憶

blogへのご訪問ありがとうございます!

量子場師であり、ライトワーカーyoshiiyです。  

 

先日、ふと思い出した小さいころの笑顔の記憶から…のBlog内容の続きになります。

 

よろしかったら、ひきつづきお読みください。

 

 

yoshiiy.hatenablog.com

 

 

小学校初のおともだち、ゆうこちゃん

 

暗黒の保育園時代から小学校へ

 

小学校時代もなんだかさっぱりな記憶しかないんですよね。

 

お題『笑顔の記憶のさきに…』に沿うと、

連動して浮かぶのは、人生最初の同性のお友達”ゆうこちゃん”が浮かびます。

 

小学校に入っても、わたしの無口は相変わらずでしたが、周りからはわりと普通な扱いになりました。

先生たちの扱いはまるっきり変わりました。

 

いわゆるわたしは”賢い子”カテゴリーに入っていたようです。

これは私にとって自分の立ち位置を確認するためにも、その後大切になっていきます。

(わたしはだんだんと要領よく生きていくコトを考える人間になっていきます)

 

当時は今のように、『学童』なんてない時代でしたので、学校が終わると、わたしはまた別の”預かりの家”のようなところでお世話になってました。

しかもたしか3年間もです。

 

小学校からその家へ行き、夕方(夜)仕事が終わった父親が迎えに来る、というルーティーンでした。

 

その家には私以外にも一人女の子がいました。

たしか学年が1つ上のカオリちゃんです。

 

ここでの主人は、元小学校教師の未亡人という、非常に体格の良い、男性のようなおばさんでした。

なぜか”〇〇先生”と呼んでいました。

(この家での話もいろいろありますが、本日は割愛します)

 

ゆうこちゃんは、その”預かりの家”の近くのお寺の子で、いつも下校グループが一緒、そこで仲良くなったのです。

 

ゆうこちゃんにはかなり年上のお兄ちゃんがいて、とても優秀、誰もが知っている進学校に通っていました。まわりがそう噂していたんです。

 

もちろんゆうこちゃんも頭が良く、目のクリクリなとても顔立ちの整った大人っぽい子でした、そう感じてました。

黒目が大きく、髪がテンパだったので、睫毛もカールがかっていて、

とても見ていて飽きないお顔の子でした。

 

そしてとても笑顔が120点な子でした。

 

お寺の子、ゆうこちゃんのお家に行くと「お勉強しながら遊ぶ」ことが多かった記憶です。

ゆうこちゃんの家はかなり厳格で、マンガ本を買ってもらえなかったようでした。

わたしはよく少女マンガをゆうこちゃんに貸してあげてました。

 

わたしは彼女にとても救われた記憶です。

 

なにが?と言われて説明できる記憶はないんですが、なんというか光のような子だったんです。ふんわりキラキラしてるような。

 

ゆうこちゃんには変な”敵”がいました。

素敵なゆうこちゃんは、いわゆる妬みの対象になっていたんですね…

そのころの私は全く分かっておらず、

「なんでこんなにいい子のゆうこちゃんが意地悪されるんだろう?」

って。

 

子供って、ナチュラルに残酷ですから。

 

でもゆうこちゃんから誰かの悪口を聞いたことは一度もなかったと思います。

わたしも彼女も"悪口""陰口”という概念がなく過ごしていたように思います。

 

ゆうこちゃんとはかなり密に遊んだ記憶がありますが、それも多分1年ぐらいのことです。

ゆうこちゃんとは中学でもクラスが一緒になることはなく、彼女はお兄さんと同格の女子高へ進学していきました。

 

ゆうこちゃんが私にとって”初”の彼女のような存在でしたから、接点がなくともなんとなく気になっていました。

 

彼女にとって、わたしとの存在記憶はとても薄い、もしくは無いぐらいかもしれませんが、それはそれで全く問題はないのです。

 

 

 

女子友

中学で再会したミエちゃん

 

話はいきなり飛びまずが、

わたしの最初の中学は県内イチの超マンモス中で、1学年15クラスもあったんです。

その中学へはバスで通っていました。

 

このマンモス中学は、いろんな子がいて楽しいところでした。

ここでの1年は、その後のわたしにいろいろな意味で影響を与えています。

 

いわゆる”ザ・不良”みたいなやんちゃな子や、見たこともないイケメンな男子(その当時はそう見えたのです)、週末は東京の芸能事務所に通ってる子もいたり、クラスメイトを見ているだけで、飽きない日々でした。

 

そして同じクラスの”ミエちゃん”という子と仲良くなります。

彼女は別の小学校、海に使い地域の小学校出身でした。

 

仲良くなってしばらくのころ、『ねぇ、覚えてる〜?』と、

彼女から、わたしと彼女が同じ保育園だった、という話を聞いてとても驚きました。

 

あの暗黒時代のような保育園時代の話が、いきなり彼女から出てきたのです。

そして保育園のころ、よく一緒に遊んでいたというのです。

 

ミエちゃんはわたしの名前を覚えていて、同じクラスにわたしの名前を見た時、とても嬉しかった、そしてまた仲良くなれて凄く嬉しかった〜、と話しました。

 

申し訳ないコトに、わたしには彼女の名前の記憶もその記憶も、全くなかったんです。

わたしは友人から、愛の告白のようなそんな言葉を聞いて、とても恥ずかしくなりました。

 

わたしにはそんな言葉が出てきませんから。

すごいなぁ、とまた単純にキュン感動です。

 

後日、彼女の家に遊びに呼んでくれた時、保育園の卒園アルバムを見せてくれました。

そしていくつかのスナップ写真に、笑っているわたしを発見しました。

 

「あ、わたし自然に笑えてるじゃん。へぇ、楽しかったんだ」

 

とてもとても不思議な感覚でした。

笑っていた自分を発見して、なんだか嬉しかったのです。

 

…なぜか我が家には保育園卒アルは存在していなかったのです。

 

そんなものが存在するコトを、友人宅で初めて知りましたが、その後、母親に確認することもしませんでした。

 

だってその時まで見たコトがなかったのですから。

同じモノが自宅にあるとは思えませんでした。

 

 

ミエちゃんとは1年間とても仲良く過ごしましたが、物理的なお別れを迎えます。

 

2年時に、わたしの小学校区域に新設の中学が出来たタイミングで、ミエちゃんとはさよならになりました。

ですが、その後、高校卒業ぐらいまで、定期的に会ったりしていました。

 

色白で頬骨が高く、顎のラインがキュとして、薄いそばかすのあるミエちゃん。

松田聖子のモノマネが上手だったミエちゃん、

好きな男子の話を楽しそうにするミエちゃん、

いまはどうしているんだろう、元気かしら。

 

 

そして彼女も笑顔の素敵な子でした。

とても人懐っこい笑顔の子

 

 

 

わたしは身近な信頼する友人たちから、笑顔を学んだのかもしれません。

 

ふと、そんなコトを思い出す今日この頃です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただいた方、皆さまにLOVEを💗