トラウマ?笑顔の記憶のさきに vol.1… 妹の笑顔から
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量子場師であり、ライトワーカーyoshiiyです。
今朝、ふと思い出した小さいころの記憶…
今日はわたしの幼い頃の記憶のワンピースから、今思うコトについて、つらつらと触れてみたいと思います。
最初の笑顔のきおく
わたしはあまり小さい頃の記憶が、少ないような気がします。
特に、楽しかった記憶はほんとにあまりないかもです。
みなさんはどうでしょうか。
わたしには3才下の妹がいるんですが、最初の笑顔の記憶は、妹の笑顔です。
妹が保育園で男の子たちと楽しそうに遊びまわる姿を、遠くから見ている記憶です。
「あの子(妹)は凄い笑顔で遊ぶ子だなぁ〜、なんて楽しそうなんだろう〜」
「素敵な笑顔だな〜」
「どうやっったらあんな笑顔ができるんだろう、すごいな〜」
と、感じている自分の記憶です。
妹はわたしと違ってとても活発で、人気者でした。
お友達に囲まれている妹を見て、
「みんなあの笑顔が好きなんだろうな〜」と思っていました。
わたしも大好きでした。
そして自分はあまり笑ってないことに、なんとなく気づいてもいました。
わたしは笑わない子?
私は暗い子だったと思うんですよ。
かなりの無口で、”自閉症ではないか”と思われ、
病院へ連れて行ってはどうだろうか、と親が親切なアドバイスを受けていた記憶があります。
実際にはそういう機関へ相談にいったことはないんです、多分親目線で「そうでは無いだろう」と思ったのでしょう。
わたしは保育園のころ、友達と楽しく遊んでいた記憶があまりありません。
妹と一緒に遊んでいた記憶の図も、なぜか浮かんできません。
一人で砂場でどろ団子作ってたり、ブロックで遊んでたり、絵を描いていたり、いつも一人で黙々と何かをやっていた記憶、そんなシーンしか浮かんでこないんです。
友達といて楽しい、一緒に遊んでいて楽しいとか、感じた記憶があまりないんですよね。
なんだか暗い話になってきていたらすみません笑
そんなわたしも今では愛想笑いも自然にできる大人ですから、人生とは学びですねぇ笑
保育園は楽しくないところ
幼い頃の妹の笑顔の記憶から、保育園時代の少ない記憶がふんわり浮かんできました。
わたしは保育園がかなりきらい、苦手でした。
あまり楽しくないところ、そんな記憶がベースです。
ただ時間を潰すために入れられていたんだろう、なんて思ってました。
これはしょうがないコトです、両親が共働きでしたのでしたので。
今では当たり前なライフスタイルですが、わたしが子供のころは、フルタイムで働いてる母親はまだ珍しいかった時代です。
自宅から遠い保育園に、毎朝父親が車で送ってくれていました。
昔の田舎の保育園ですから、先生が好きに自分のクラスの園児を管理している環境です。
記憶の中に、とてもイヤな先生がいます。
すみれ組の先生です。
すみれ組先生は、やや長身のスラッとしたキレイめ系の先生でした。
彼女はわたしの担任先生ではなかったのですが、お隣のクラスの先生で、合同で遊ぶ時は、彼女がいろいろ指導していたんです。
わたしの担任先生の方が先輩で、すみれ組先生が任されての図ですね。
すみれ組先生はいわゆる”やってらんねーよ”オーラがだだ漏れの先生でした。
子供や保育の仕事は特に好きなわけでもなく、とりあえず仕事だからやってるーって感じの先生ですね。
そんなコトを感じていたのはわたしだけかもですが。
すみれ組先生は、お片付けのどんくさい子はきらいです。
集合をかけても聞こえないで遊びに夢中な子はきらいです。
「お絵かきしようね」
って言ってるのに、ダンスをしている子はきらいです。
自分のいうコトを聞かない子は、きらいなんです。
どうしてそう思ったのか、
それはすみれ組先生はよく怒ってばかりいるんです、
園児たちを。
そしてわたしにもよく怒っていました、キーキーと。
先輩先生がいる時は、100点笑顔のすみれ組先生ですが、自分と園児たちだけになると、”やってらんねーよ”オーラバンバンのすみれ組先生に変身です。
ある時、マイペースすぎるわたしはすみれ組先生に、みんなの前で長々と嫌味を言われていました。
『なんでダンスの輪に入らないでいつまでもブロックしてるの!早く片付けて!』
そんなかんじでキーキーガーガー言われちゃってたとき、
わたし担任のゆり組先生が現れて、
『すみれ組先生、ど〜したんですか~』と。
その時、キーキー怒り顔のすみれ組先生の顔が、100点満点笑顔にガラッと変わったんです。
これ、わたし的にかなりの衝撃でした。
何があったんだ?レベルです。
”人は正統性のない行動を目撃された時、笑顔で取りつくろう”
の図を初めて見た時でした。
わたしは
「あ、なんかやばいコト見られた時、ごまかす時も人って笑うんだ!」と思いました。
そして「なんだこの人、やっぱり嫌な感じ」と思いました。
すみれ組先生にほ、この後もいろいろ別の意味で学ばせてもらったかんじです。
たぶんそれ以降、どんくさいながらにも、わたしはすみれ先生対策をしていきます。
すみれ先生がいる時は、はじっこのはじっこで遊ぶ、そんなレベルですが。
一度、すみれ先生がイヤでトイレに隠れていたことがあります。
優しい別の先生が探しに来た時に出て行ていくと『どうしてたの〜?』と聞かれても、すみれ先生のことは話さなかった記憶です。
基本無口な子でしたから。
それに、告げ口をするスキルが、考えを持っていない子でした。
わたしはこんな5才児でした。
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保育園時代を思い出すと、他にもイヤな記憶がポツポツと思い出されてきます。
その保育園は延長保育とかない園だったので、保育時間終了後は”子供預かりの家”のようなところでお世話になっていたようです。
ここでの記憶は更に全く覚えていません。
この”預かりの家”にいた期間は短かったようですが、ここでわたしはネグレクトに合います、全く笑えない話なので、今はスルーします。
(機会があれば別で触れます)
幼稚園、保育園って、ちいさい子供にとっては自分の両親、家族以外の人間と、長い時間一緒に過ごす、初めての環境です。
お友達だったり、園の先生方だったり。
残念なコトにわたしの場合、楽しい記憶はあまり顕在意識の中に登場しませんが、楽しく過ごした記憶もあるはずと思っています。
★ こちらのBlog、前回掲載時、わたし的にかなり長くなりましたので、今回リライトし、再編集&アップデートいたしました。
お読みいただいた方、皆さまにLOVEを💖